俺とくそなべ
くそなべは4歳から18歳までの14年間、ほとんど毎日のように通い続けた 駄菓子屋ゲーセンの名前。 誰が最初に言い出したかわからないが(いや、たぶん俺だけど)、この店に通う人 全員がくそなべって言うようになった。略して「くそ」って言うことも多かったな。 「くそ行ってくる」って会話は多くの人に普通に通じた。 もともとは青果店で、塩の販売免許(当時塩は許可制だった)も持っていたのだが、 ゲームを置いてみたら利益が結構出るので、どんどん増やしていったようだ。 最盛期には青果を完全にヤメて、駄菓子、ゲーム、塩だけになった。 くそなべの家族構成  おばぁさん:店番。優しいおばぁちゃんだった。  おじぃさん:変な人だった。孫を溺愛する。日中はどこかでパンを売っていたっぽい。  お父さん:今で言うと「世界のナベアツ」に似ている。滅多に家にいない。  お母さん:斉藤由貴を太らせたような感じの人。ざっくばらんな性格。  りょうた:長男。しんごより賢そうだった。  しんご:次男。小学校低学年にして既にビールっ腹だった。腹太鼓が鳴らせるよ。  まゆみ:長女。まだ3歳児だった。  なーたん:次女。赤ん坊。 これ以降何人生まれたのかわからないが、子作りには積極的な家庭だったな。 8人暮らしって言うとサザエサン以上だ。 くそなべの朝は早い。 夜明けとともに開店するので、学校前に1プレイだけやるって技が可能だった。 風営法では日の出以降なら開店させてOKってことになっているので一応セーフだね。 冬なんかは暗いうちから開いていたけど・・・ 反面、閉店時間も早かった。 おじいさんが帰ってきてコンセントを抜き始めると、閉店時間がもうすぐだよってことになる。 ランダムではあるが、18:30〜19:30のことが多かったかな。 たまに(と言うか頻繁に)プレイ中のゲームの電源を落とされてしまうことがあった。 そのときはおばぁさんに言うと50円戻ってきた。 おじいさんとはあまり会話をしたことがない。なぜか会話のキャッチボールがうまくいかない んだよね。独り言をいつも言っていたし、ちょっと変な人だったのかもしれない。 おじいさんおばぁさんはもう死んでしまったかもしれないなぁ・・・ と思いつつ、3年前に訪問してみたら・・・ 店はヤメてしまったが、まだ健在で元気だった。 おばぁちゃーん! 俺のことは忘れたかも? なんて心配していたのだが、 「毎日来てたんだから忘れるわけないよっ」 と笑いながら言ってくれた。 ギャラクシーウォーズの純正筐体くれるって言うけど、置く場所無いし、持って行くのも 大変だし無理だよ。(純正筐体は超レアで価格高騰中) いつもまでも長生きしてね。 ※その後増築して普通の家のようになってしまった。  みんな元気だろうか? 戻る