俺と荒川尭
今は潰れて無くなったが、知人が観光地でBARをやっていた。 ここら一体は狭いコミュニティで、数店舗のBARを決まった人が 周遊する感じだった。夜になると観光客もいないし。 客もみんな知っている人で居心地が良く、俺も無駄に入り浸っている 事が多かった。 昼ご飯作って貰ったり、ドクダミ茶を飲みに行ったり、酒を飲まなく ても良いんだ。 ある日紹介されたのが荒川尭さんだった。 「この人ヤクルトの選手だったのよ。」と紹介されて、あまり詳しく ない俺は「ふーん」って返事をしたのが最初だった。 一応ヤクルトファンではあったけど、名前が記憶に無いのでそんなに 有名でも無いのだろうと気にも留めなかったのだ。その時は。 野球に多少は興味があった頃の選手は、八重樫、若松、池山、広沢、 飯田などが在籍していた。外人だとホーナーが記憶に残っている。 それ以来荒川さんとは良く飲んだ。 実に良く飲む人で、1日の内6時間は飲んでいただろう。 いや、もっとかな。夕方から飲んでいる日もあったし、一旦家に帰っ てから再び飲みに、ってこともあった。 荒川さんが飲まなかった日が1日だけある。 彼が酔って階段から落ちた翌日だ。 さすがに骨折した次の日は来ないか。 しかし。翌々日からはまた飲み始めたよ。 階段が急なせいもあった。荒川さんが住んでいたのはビルの2階。 そのビルは知人(病院経営)の持ちビルで、2F1フロアで結構な賃貸 料だった。医療の知識が全く無くても病院は経営できるのだな。 ビルも複数所有していたし、優しそうな顔をして(実際優しいけど) いるのにかなりのやり手だったのだ。 荒川さんはその高い家賃と毎日の酒代をどこから捻出しているのだろう。 一度本人に聞いたことがある。 「野球関連のグッズを売っているんだ。」 野球の話はほとんどしない人だったけど、たまにぽつんと自分の事を 語る時があった。 俺から見たらおじいさんとも言える年齢で、いつも寂しそうに飲んで いたっけな。 大笑いしたのを見たことが無い。いくら飲んでも騒がないんだ。 いつもキャップを被っていて、その下の目からは深い憂いを感じる。 この人はいつからこうなんだろう。 おそらく荒川事件が彼の性格なども形成したのではないかと思う。 長野に帰ってからは全く電話が来なくなった。 元気なのかどうか心配だが、元気じゃなかったらニュースで話題にな るだろう。だからたぶん今も元気に飲んでいると思う。故郷で。 戻る